生活のこと

ヘンリー日記-1

一か月ほど前から父親が週二回デイケアサービスに通い始めた。

昭和8年生まれの86歳。79歳まで個人タクシーをしていたが、運転中に意識がなくなったことがあり、事故を起こす前に、ときっぱり引退した。もちろんその時は仕事ができる位元気だったのだが、やはり80歳を過ぎ、如実に体力も気力も記憶力も衰えていった。

2年ほど前に、2DKの団地を引き払って、隣にある私と同じ棟に引っ越した際にはすでに痴呆の症状が出始めていて、まず自分の家を覚えるのに苦労した。土地勘はあるはずなのだが、帰れなくなったりもしていた。携帯も払い忘れでしばしば連絡がつかなくなり、家に行くといたりする。或いはスーパーの近くの店で地元の友人たちと話をしているのを見つけてほっとしたこともある。

介護福祉サービスを受けられるような手続きをした方がいいと勧められることはあったが、私は私で日々の生活に追われてなかなか前に進めなかった。

そうこうしているうちに、父はもう1年以上前から風呂に入らなくなった。それまでも風呂嫌いで、促して月に1回入る程度だっと思うが完全に拒むようにあった。昼のうちに電話して、「お風呂、今夜入ろうね」というと「うん」という。しかし夜行くと「今日はぐ具合が悪いからやめておく」という。ところがごはんを作ると一人前をぺろりと平らげる。仮病というわけでもなく、気分がのらないのだろう。無理やり入れることもできないし、ただ見守る以外はなかった。

風呂は入らなくても死にはしないのでいいが、さすがに玄関を開けて入った瞬間臭いにやられる。すぐに窓を開けると「寒い」というし、本人がずっと家にいると掃除機もかけられない。下着も何日も変えていないのだろうけど、たとえ着替えてもハンガーにキレイにかけて干す習慣があるので、どれを洗濯していいかもわからない。

食事は、作らなくなってもレトルトを温めたり牛乳を温めてスープを作ったり、コンビニでおいなりさんを買ってきたり、なにかと自分でやっていたのでまだよかったが、そのうちおいなりさんも二つ買ってきて期限切れになったり朝も昼も同じものを買ったりして収拾がつかなくなってきた。

週に2回くらい、食事を持って行って一緒に食べたりしていたが、徐々に回数を増やさざるを得なくなってきた。古くなったお稲荷さんは期限前でも食べないのでこっそり回収し私の翌日の昼ごはんになる。部屋はホコリが積もる。洋服はどれがどれやら。そして臭い。

今年に入りいよいよ本気で父の生活ことを考えなければいけなくなった。そんな父を置いて、夏に海外に行くことになったからだ。一週間、ごはんも自分で作らなくなって、エアコンのない部屋で誰かと定期的に話すこともない老人が無事にいられる保証はない。
ある日、思い切って相談センターに行ってみた。

 

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