生活のこと

25年めの夜

当時は健康食品の営業みたいな仕事をしていて、全国の代理店を訪ねて講演会をやってた。あの日は姫路の代理店を訪問する予定で市内のビジネスホテルに前泊。
朝方の大きな揺れで目が覚めると、天井や壁面が斜めにきしんで、枕もとのコップも横に飛んでいくのを見て、これで終わりかも、と一瞬覚悟したのを思い出す。慌てて飛び起きて着替えて廊下に出て、周りの宿泊客の人も出てきたけどとりあえずすぐに逃げなくても大丈夫そうな感じだったので部屋に戻ってテレビをつけてみた。地震の速報は流れてたけどまだ情報がつかみ切れていない朝。

携帯電話もネットもまだ普及していない時代、ホテルの電話も使えなくてどうしようと思っていたけど幸い代理店の女性が車で迎えに来てくれて、ひとまずせっかく来たんだし姫路城でも見に行く?とかなって、そのあと彼女のお家でテレビを見てたら、神戸の街が大変なことになっていると、それが時間の経過とともにどんどん拡大しているのを目の当たりにして、これは帰る手段を真剣に考えなければと思い始めたのがお昼過ぎ。

それから姫路駅に行ってみると、私と同じような境遇のビジネスマンが帰りの手段をあれやこれや模索中。新幹線が使えないこと、神戸、大阪方面にはタクシーも行きたがっていないことを知る。誰かが鳥取行きのバスに乗って飛行機で帰る手があるというので同じような境遇の数人が連れ立っていくことに。姫路から鳥取行きのバスに揺られ雪の降り積もった鳥取のホテルにたどり着いたのは夜遅く。テレビをつけたままで眠れずにいたのはちょうど25年前の今だったんだなと。
今夜はただ祈るのみです。

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